京都府商工連だより
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京和あずま株式会社

「世界各国の人に抹茶を気軽に楽しんでほしい」という思いが原点。

京和あずま株式会社あずま テル子
 宇治茶の生産地として知られる和束町で150余年の歴史を持つ東茶園を営む、京和あずま株式会社。茶園の4代目である社長 東 周作さんの妻、東 テル子さんは10年以上にわたり、独自商品やその海外展開を通して“お茶文化”の普及に取り組んでいる。「無理せず楽しく」をモットーに挑戦し続けるテル子さんに、そのきっかけや経緯、展望を伺った。
京和あずま株式会社
〒619-1204 京都府相楽郡和束町門前宮野20
TEL:0774-78-3771
http://www.azuma-tea.com/

「毎日飲みたい」との思いが新商品開発の出発点

 1868(明治元)年創業、7haの茶畑を擁する東茶園に中国出身のテル子さんが嫁いできたのは、1997(平成9)年のことだ。
 周作さんは1972(昭和47)年、同社の前身である京和化成工業株式会社を立ち上げ、茶栽培に用いる資機材の販売などを手掛けていたが、茶園を受け継いだことを機に、茶栽培を同社事業の主軸に据えた。また時代の一歩先を見据え、テル子さんが来た頃から開墾改植を進めていく。作業性の高い乗用型摘採機の導入が可能な平地茶園を増やして規模拡大を図るとともに、長く〝煎茶の和束〟と称されてきたこの町でいち早く、抹茶の原料として需要の高い碾茶(てんちゃ)をメインとする碾茶農家への転換を果たした。
 一方、中国では教員をしていたこともあり、ビジネスには興味がなかったというテル子さん。自由な時間を満喫していたが、ある日、一つの疑問を抱く。「なぜ日常に抹茶が存在しないのだろう」。何トンもの碾茶を作っているのに、口にできるのは茶道教室に行った時だけ。「こんなにおいしいのだから、多くの人が毎日飲みたいと思っているはず。そんな思いが、全てのはじまりでした」

誰もが手軽に飲める抹茶スイーツティーを開発

 そこから、テル子さんの挑戦がスタートする。抹茶が飲まれていない理由をリストアップした結果、「手に届く価格で、疲れている時でもサッと作ることができ、お茶文化や作法がわからなくても、道具がなくても、国内外の誰もが手軽に飲める方法が見つかれば、コーヒーや紅茶に並ぶ日常的な飲料になる」と考えた。
 そして2006(平成18)年に誕生したのが、『抹茶オーレ』をはじめとする抹茶スイーツティー『お濃茶美人』シリーズだ。粉末状となっており、お湯に溶かすだけで飲むことができる。
 今でこそ抹茶の用途は幅広いが、当時はまだ、抹茶を別の原料と混合させた製品自体があまり一般的ではなかった時代。決してスムーズな滑り出しではなかったと言う。
 転機が訪れたのはその5年後。香港の百貨店で開催される京都物産展に出展するチャンスが舞い込んだ。手応えを得たテル子さんは、全ての国に輸出できるよう、約3年を費やして無農薬での栽培方法を確立。2014(平成26)年には有機JAS制度による認証を取得した。

商工会のサポートのもと海外販路拡大を実現

 本格的な海外進出に向けて動き始めたテル子さんやスタッフを支えたのが、和束町商工会だ。海外販路拡大に対する支援制度があることを知り、迷わず申請した。海外で開催されるイベントへの出展や商品開発を対象とした補助金が大きな助けとなったことは言うまでもない。加えて、ビジネスに不慣れだったテル子さんは、「すぐに相談に応じていただけるのがありがたかったですね。現地代理店との契約内容が不利な条件になっていないかをチェックしていただくなど、きめ細やかにサポートしていただき心強かったです」と語る。
 現在は香港・台湾・シンガポールを中心としながら、欧米へも輸出している。また食品加工向けの抹茶の売上が伸びていることから、2018(平成30)年からは碾茶を粉末にする二次加工を内製化。短納期への対応を可能とした。「ゆっくり楽しみたい」と話すやわらかな笑顔と、その奥に秘める「和束から世界へ」という気概。絶妙のバランス感覚でまい進するテル子さんのさらなる活躍に、期待が高まる。

“よそから来た人間”ならではの発想が、商品開発のカギに

 現在、海外輸出の主力となっているのはドリンクやスイーツに用いる業務用抹茶。その取引先である現地代理店とのつながりが生まれるきっかけとなったのは、和束町商工会の支援のもとこつこつ出展してきた現地物産展において、東茶園の“顔”として扱ってきた『お濃茶美人』シリーズだった。
 「ただ、このシリーズを開発した当初、日本では『抹茶に違うものを混ぜるなんて・・・』というお声をいただくことも少なくはなかったんです。抹茶を粗末にしているという印象を与えてしまったのでしょう」と、テル子さんは振り返る。さまざまなプレゼンテーションを行う機会はあったものの、共感を得ることはできなかった。昨今の世界的な“抹茶ブーム”に鑑みると、おそらく時代の先を行き過ぎていたのであろう。
 「私が和束の農家に生まれ育っていたら、いわゆる固定観念のようなものが邪魔して、その発想には至らなかったかもしれません。よそから来た者ならではの目線があったから、一般の家庭で抹茶を飲む習慣がないことに疑問を感じたのだろうし、よそ者だからこそ、伝統にこだわらず、周囲の反応を気にすることもなく、思い切ったことができたのかなと思います」

「失敗を恐れるな」という周作さんの言葉が後押ししてくれた

 そんなテル子さんが、海外展開を進めていくうえで常に闘ってきたのが、「うまくいかないかもしれない」という不安だ。
 「たとえば、無農薬での栽培方法を確立するまでの数年間。農薬を少しずつ減らしていくのですが、収穫できるまでは、『新芽が出なかったらどうしよう』と不安で仕方がなかった。通常お茶は年3回収穫しますが、虫が多く農薬を使わざるを得ない夏の収穫をなくす決断をしたことで、経営的にも厳しいものがありました」
 湧き上がってくる不安を打ち消し、乗り切るうえでの力となったのは、夫である周作さんの存在。「失敗も勉強。恐れずにどんどんやれ」と、テル子さんの背中を押し続けた。いち早く碾茶農家への転換を決断するなど、道なき道を歩んできた周作さんらしい。
 「さらに5年前からは、和束町商工会からの支援も加わりました。恵まれた環境で自由にやらせてもらって、ようやく方向性が見えてきた段階。まだまだこれからです」とテル子さん。その眼差しに、もう迷いはない。

世界中に抹茶を発信し、東茶園を次代につなげたい

 商品開発に着手した際のテル子さんの胸の内には、後継者問題という業界全体の課題に対する思いもあったと言う。「抹茶が親しみのあるものとなり需要が伸びれば、作り手もしんどいばかりではなくなるはず」。それから十数年。息子さんが大学で農業を学ぶ今、その思いはより切実なものとなっている。「この東茶園を息子の代に引き継ぎたい。そう強く思うようになりました。海外展開を通じて、喜んで継いでもらえるような魅力的な会社へと進化を遂げるための基盤を築きたい」と語る。
 空前の抹茶ブーム。あらゆるものに抹茶が使われる現状には、「それでいい」と肯定的だ。今後は、抹茶そのものを飲む習慣の大衆化を目指す。
 「目下の目標は、加工用ではない、抹茶そのもののBtoB取引の開拓・拡大です。そのツールの一つとして2019年(平成31)年からは、海外向けに新たに開発した、茶道用の本格的な抹茶も展開する予定。一人でも多くの人に飲んでもらえることをやりがいとしながら、少しずつ形にしていけたら」。これまでと変わらぬ自然体で、まだ見ぬ抹茶の可能性と東茶園の未来を切り拓いていく。