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サクセスリポート  

■オオイ金属株式会社
〒614-8264 京都府八幡市岩田南野10番地
TEL.075-982-7749 FAX.075-982-3981
http://www.joho-kyoto.or.jp/~ooi-mtl/

 1979年、給食用食器を製造販売する事業に参入したオオイ金属株式会社。ゼロからのスタートから28年、今や年間の総売り上げは11億円、全国におよそ250の販売拠点を持ち、業界シェア50%を独占するまでに成長した。その躍進の道程と、それを支えた原動力を同社代表取締役、奥 勝美氏に伺った。
 
 
 京都府八幡市にあるオオイ金属株式会社の前身は、鍋など家庭用金物を製造販売するメーカーだった。同氏はそこで営業マンとして働いていたが、40代の頃に会社が倒産。きっかけは、自社工場からの有害物質の流出事故だった。アルミニウム製品の表層を陽極酸化皮膜で覆う”アルマイト加工“で使う化学物質が流出したこの事件は、ちょうど公害の訴訟問題が世間を賑わせていたこともあり、新聞で大きく取り上げられてしまった。
 それだけなら何とかなったのだろうが、製品製造の分業制と、問屋に依存していた流通システムは同社の利益を圧迫。さらに海外から輸入される安い商品との価格競争にも追い込まれ、社にはもう立ち直る力がなかった。残ったのは金属の加工機械のみ。この設備を生かして何とかできないか?奥氏を始めとする前会社の有志10名は再起をかけて集結。
 「オオイ金属株式会社」という社名は、奥氏を含むこのときの中心メンバー3名の頭文字を取り名づけられた。
 
 奥氏が考えていたのは、自社だけで完結できる製品作りだった。従来の家庭用金物では、鍋の取っ手や鍋蓋などの加工は専門の業者に外注しなければならず、スーパーや百貨店に並べる際の包装等で、副資材のコストがかかりすぎる。「給食用の食器はアルミニウムだけでできる。今ある設備とアルミニウム材料さえあれば、なんとかなる」そこに目を付けた。会社立ち上げと同時に、全国の市町村に営業マンも社長も立場に関わりなく足を運び、地道な営業を重ねた。また積極的に給食の調理現場にも訪ね、そこで聞いたさまざまな意見を自社の製品開発にも反映。その努力が実り、徐々に取引先企業も増えていった。さらにこの営業活動は、他社にはない同社の独自サービスに繋がっていく。
 「寒い地域では、食事が冷めにくい材質の食器、麺が特産品なら丼が欲しいなど、気候や食文化の違いでさまざまな需要があったんです。自社製品としてアルミのみを扱っていましたが、それでは対応できない」と感じた。同社に限らず、商品ラインナップの少なさは競合他社も同じことだった。「どこの業者もカバーしていない商品を揃えれば、それが独自性になる」。そう確信した同氏は自社製品以外の商品を全国の業者から仕入れ、販売することにした。あらゆる要望に応じたきめ細やかな品揃えは、徐々に顧客の心を掴んでいく。欲しい商品を一括して購入できる利便性も、他にはないサービスとして広く受け入れられた。一方、取引を始めた全国の納入業者がそれぞれの地域で営業活動をしてくれるようになり、今や250もの販売拠点として機能し、同社の急成長を後押ししている。
 

 1996年、O-157(腸管出血性大腸菌)による大規模食中毒が続発した。厚生労働省は急遽、給食センターで作った献立サンプルを保存するための検食容器の開発を国内の業者に要請。同社も取引先3社と協力しそれに対応した。作れども作れども、商品が追いつかない状況は、食の安全に対する世間の関心の高さを現していた。同社にも同年に導入されていたHACCP※対応の食器などの要望が数多く寄せられ、「環境ホルモンといった容器からの化学物質の溶解など、食品容器の安全が重要視されていることを強く感じました」という。そのとき頭をよぎったのは、かつて会社を倒産に追い込んだ化学物質の流出事故。当時を振り返り、同氏は強い危機感を感じた。同時に「給食用食器」という「食の安全」を守るべき立場に強い責任と使命感を感じた。そして直ちに食中毒を未然に防ぐための輸送食缶の開発に着手した。試行錯誤を繰り返し、独自の技術で食品の温度を65度以上で2時間キープし、品質を維持する二重構造の蓋付き食缶を開発。実用新案権を取得した。また行政の要請を受けてこの食缶の改良に着手。保温性と耐久性をさらに向上させたステンレス製の角型食缶を生み出した。大規模食中毒に対応したこの製品は、大量給食の現場で広く普及し同社の主力製品になった。

 
 会社設立以降、自社だけで完結できる製品作りを目指した同社だが、アルマイト加工だけは協力企業に依頼していた。しかし昨年ついに廃棄物等の公害問題を完全にクリアしたアルマイト自動加工設備を自社内に整備。起業から27年の歳月が流れていた。
 「自社製品を作るということは、ものづくりをする企業にとっての存在価値を示す大切なことです。しかし必ずしも売れるわけではないし、何かあったときにはその社会的責任を全て負うというリスクも背負っています。でも私はものづくりにこだわる企業でありたい。倒産の引き金になった事故やO-157の事件などを通し、安全とは何かということを学びました。私どもは自社の製品を通し、食の安全を提供していきたいと思っています。」
 現在、同氏は次代を担う若い人材の育成に積極的に取り組んでいる。外部講師を招いての安全会議や、安全に関する資格の取得を積極的に後押ししているという。同氏とともに再起を目指した二人のうち、一人は第一線を退き、一人は他界された。しかし会社を復活させた彼らが培ってきた、「食の安全を守る」という使命は、やがて同社を背負う次代の若者達に、確実に受け継がれていくと感じることができた。

HACCP(Hazard Analysis Critical Control Point)
1996年にアメリカから導入された 食品に対する衛生管理規格。

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