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サクセスリポート  

■カメラのトモミ堂
〒610-0361 京田辺市河原食田10-48
TEL.0774-62-5548 FAX.0774-63-5548
http://www.tomomido.com/

 創業当時から地域密着型店舗を目指している「カメラのトモミ堂」。
 田原氏がモットーとしている“自ら考え行動する”ことが 写真店の生き残りのみならず、地元商店街の活性化への架け橋となりつつある。


 
 

 近鉄新田辺駅前キララ商店街の一角にある「カメラのトモミ堂」は、今年で創業40周年を迎える。カメラがまだ珍しい時代、アマチュアカメラマンであった先代が写真コンテストを通して招待作家に選ばれたことを機にオープン。
 田辺のまちが大好きな先代は積極的に参加していた地域のボランティア活動を通じ、教員や父兄の信頼を受け、徐々に地域の学校の専属カメラマンとして呼ばれるようになって行った。まさに地域密着型の写真店である。
 「自分を売り込みなさい」それはシャッターを切りはじめた田原氏が先代から常に言われていた言葉である。撮影を通じて相手に自分を知ってもらい心を開いてもらう事が最高のショットへと繋がるというその教えは、年を重ねるごとに撮影だけに限ったことではないと気づいたという。
 先代同様、大好きなまちの地域活動に積極的に取り組んでいた田原氏は、商工会をはじめ、京都府写真材料商業組合、山城青年会議所など様々な活動に参加。持ち前のチャレンジ精神と熱意で役職を全うし、おのずと多くの人達に自分の人柄・魅力が伝わっていくことになる。「儲けという言葉はつい金銭を想像しがちですが、私は自分の人柄を知ってもらうことで得られる人脈や、ネットワークこそが儲けだと考えています。」これは何事に対しても通ずる田原氏のメッセージ。田原氏の人柄から生まれた信頼が、今のトモミ堂を支えているといっても過言ではない。



 

 平成17年に経営者となった田原氏は、それまでの固定客に加え、若い世代が足を運びやすい店舗にしようと大がかりな店舗改装を行った。参考にしたのは携帯電話の販売店。白基調の清潔感溢れる内装やカウンターの設置、また常連客の一服の場として親しまれていた店内をあえて全面禁煙にする事を試みた。一連の取組みは写真館というこだわりを持ちながらも、入店しやすいプリントショップというイメージを植え付け、顔なじみの客に加え若い主婦層や学生という狙い通りの新しいターゲット層の獲得に繋がりつつあるという。
 田原氏は、写真店の将来を見据え予てより案じている事がある。「最近の顧客にはカメラは電気屋、プリントはドラッグストアへ行けば用が済むという認識が定着しています。そんな中、カメラ屋が存在価値をアピールする為には技術や付加価値を売らなければいけない。」
 田原氏の撮影の基本スタイルである“写真を通じて写心を伝える”という言葉は、コミュニケーションを通して被写体の背景やその時の心情を察し、心に残る1枚を撮影するということ。さらに写真のプロとしてアドバイスする事も忘れない。例えば証明写真にしても、パスポート写真は顔の大きさや、髪が目にかからない等の、細かい規定がある。そのようなことを撮影時にレクチャーしながら、撮るポイントをしっかり見極め、信頼関係をつくって撮影を進める。これが先述した“自分を売り込むということ”に通ずるトモミ堂の強みなのである。
 また付加価値のひとつとして誕生したのが、撮影した写真をまるで油絵調に加工する“油右衛門”と呼ばれるオリジナル加工法だ。“油右衛門”は実際に油絵師から油ののせ方等の技術を学びながら研究した賜物。思い出の写真がワンランク上の価値をもつ油絵調に様変わりする仕上がりに、オーダーした人はその出来栄えに改めて喜ばれるという。



 

 青年部に入った18歳から現在まで商工会と長き良き関係を築き続けている田原氏は、2011年にかつての商工会青年部担当だった経営支援員と共に「知恵の経営報告書」を作成した。
 客観的に田原氏の「強み」を語れる経営支援員と文字通り二人三脚で作成したこの報告書には、トモミ堂の写真撮影がなぜ世代を超えて地域の小中学校から支持されるのか、インスタント証明写真ではなくトモミ堂の証明写真が選ばれる理由は何かを、トモミ堂の背景にある「金儲けを考えるよりもまずは自分で行動するという顧客視点」から論理的に説明し、見事京都府の知事認証を取得した。
 田原氏は「自社の強みやこだわりは言葉にできても、形に残す事は非常に難しい。経営を見直す良い機会になりました。」と意気揚々と語ってくれた。



 創業当時からの心がけていることは“地域に根ざした店つくり”。横のつながりが強かった先代の時代は、商店街の皆が協力し合う事が当たり前であった。
 しかし、田原氏が跡を継いだ頃のトモミ堂が所在するキララ商店街は、シャッターを降ろす店舗が増え、かつての賑わいは影をひそめていた。そんな様子に心を痛めた田原氏は、地域の活性化なしで店舗の未来はないと2008年に「Evo&revoキララ商店街活性化プロジェクトチーム」を発足。商店街の若い世代に声を掛け、志を同じくする人達と共にもっとまちを盛り上げようと立ち上がったのだ。まずは、通り道となっていた商店街に人が滞留する場を設けようと、空き店舗を皆で改装しギャラリーを設置する事から始まった。写真や絵画の展示、商店街内の会議など憩いの場を設ける事で地域のコミュニケーションが生まれた。
 また、キララフェスティバルの開催や、まちの認知度を高めるため全国から募集したマスコットの“キララちゃん”を誕生させるなど商店街活性化の為に出したアイデアは数知れない。何といっても目玉となるのが誰もやったことがない事をやろうと試みた「ISU耐久レース」。どこにでもある事務イスに座って商店街を2時間走行するというレースは、年々県外からの参加者も増えているとか。
 そのような様々な面白い試みが功を奏し、今ではテレビや新聞でも多く取り上げられている。「商店街の活動をメディアに取り上げてもらい、まちを知ってもらうことが商店街内の意識改革にも繋がるんです」と田原氏は顔をほころばせながら語ってくれた。
 そんな田原氏が掲げる永遠の目標は、どんなに時代が変化しても、写真の文化を絶対に絶やさない事。写真を撮る楽しみをもっと多くの人に伝えたいという。商店街の息を吹き返させたバイタリティ溢れる彼ならば、きっとお金に換えられない価値ある写真の魅力をこれからも世の人に広めていってくれるに違いない。



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