海外進出は、地元商工会から「JAPANブランド育成支援事業」への参画を勧められたことがきっかけだった。地域の織物業者が一堂に集められ「パリで展示会を開いてみないか?」と背中を押されたという。丹後は国内最大の高級ちりめん(絹織物)の生産地。だが和装業界全体の落ち込みから転廃業が後を絶たず、自身も予てから自社の帯生地を和装以外に生かす道を模索しており挑戦を決意した。
一回目のパリ行きは平成17年。全てが初の経験で「生地一つとっても反物で売るのかバック等の商品に仕立てた方がいいのか右も左もわからない状態だった」と民谷さん。現地では展示品が到着しない等、想定外のトラブルも発生したが、同行した商工会連合会職員等と力を合わせ何とか開催にこぎつけた。大きな取引には至らなかったが、丹後の織物は目の肥えた海外のバイヤーから高い評価を得、大きな自信に繋がった。次年度からは海外取引に詳しいコーディネイターの協力を取り付けることに成功。言葉の問題から効果的な商品の展示法、顧客へのアプローチ法等、様々なサポートと指導を受け徐々に実質的な成果に繋げていった。
それから7年。“丹後テキスタイル”の浸透と新たな道筋の開拓の為、仲間と協力しながら毎年展示会を開催。「継続は力なり」と言葉では簡単だが、補助を受けつつもかかる労力や金銭的負担は少なくなかったはず。プルミエール・ビジョンに出展することでようやく逆転の糸口を掴んだ同社も、その直前は経営的・精神的に追い込まれ家族からも海外進出を考え直してはどうかと言われるような状況だったという。この諦めない強さが“チャンスの神様”を引き寄せたのかもしれない。