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サクセスリポート  

株式会社 ミツワ製作所
〒619-0201 京都府木津川市山城町綺田渋川65
TEL.0774-82-7678 FAX.0774-82-5493
http://www.mitsuwa-factory.co.jp/


オイルショック直後の混乱の時代、素人同然で会社を立ち上げ「断らない、とにかく作る」の精神で成長を続けるミツワ製作所。他社にはできなかった困難な依頼に挑戦し続け、顧客の厚い信頼を築いてきた同社にも、製造業界における生産拠点の海外シフトなど構造変化の波が押し寄せている。生き抜くための、“自分達の知恵”とは?お二人に取材した。

 
 

「この間、完成した製品を据え付けに行った現場で、ある新人スタッフが無事納品できたと泣いていたんですよ。自分でやり遂げた時、喜びで自然に泣ける。そしたら人は一皮むける。」そう話すのは、ミツワ製作所の常務取締役・原田泰幸さん。社長である父・原田光夫さんと共に、製缶・板金から多種多様な産業機械や装置の企画設計・製作等を手掛けている。

同社には専属の営業スタッフがいない。原田社長と泰幸さんを中心に営業を兼ねてきたが、最近では設計の社員もその役割を兼ねるようになったという。二年前からは新卒も 入社後すぐに商談に同行させ、受注から現場監督、納品までの一切を差配させているそうだ。技術者自ら顧客の元に行き、経験を積み上げながら信頼と実績を築くこのスタイルは創業以来、原田社長が行ってきた。それを会社全体に浸透させたいと考えたのは、下請を取り巻く状況がここ数年で急激に厳しくなったため。関係が深くとも、ある日突然海外に取引を移されることもある。「だからと言って安易な価格競争に走っても、前向きな未来はありません。」と泰幸さん。自分達で何か力をつけて、自分達の知恵で食べていく。その為に全社一丸となりステップアップに取り組んでいる。

 

「職場でただ図面と睨めっこするのではなく、現場で直接人と話して様々な業種の製造現場等を見せてもらうことが、後に自分の仕事の糧になりますよね。何より始まりから関わっていた仕事をやり遂げたという喜びは自信になり次の挑戦に繋がる。それは私も社長に教えて頂きました。」と泰幸さん。

大手ポンプメーカーのOEMや、バッテリーメーカーの下請が業務の多くを占める同社だが、事業の中に金属とは異なる樹脂関連のビジネスがある。自社製品として製造・販売する「プラスチックフィルムリサイクラー」だ。サランラップや包装材といったプラスチックフィルム樹脂製品の製造ラインに組み込む装置で、フィルム成形時に排出される耳ロスを非加熱で処理し、バージン原料としてリサイクルする。

始まりは今から14年前。事業規模拡大のため、他社で使われていた工場を購入した際に、元々その工場にあった同装置の製造も引き継がないか、という話が出た。息子にはあえて厳しい環境を与えたいと考えていた原田社長。「親子で同じようなことをやっていても、甘えもでるし喧嘩もする。」という思いもあり、大学卒業間もない泰幸さんに新規事業の開拓を任せたそうだ。とはいえ同社の専門は金属だ。当然、樹脂に関するノウハウは無い。泰幸さんは独学で樹脂に関する猛勉強をし、この装置を売れる形にするための方法を模索した。そして樹脂に関連した事業に携わる取引先や企業を訪ね、そこで様々な情報を得て少しずつ製品に反映。やがて顧客其々の生産機にあわせて仕様やオプションを変更できるという、従来の国内製品にはない柔軟性を持ち、非加熱処理で素材を熱劣化させないエコでクリーンな製品を実現。平成16年に京都府中小企業優秀技術賞を受賞した。「製品の品質もやっと安定して、お客様のご要望も概ね網羅しました。自信をもって“ご提案”できる。」と自信を覗かせる泰幸さん。更なる販路拡大に期待が高まる。

 

これまでの企業努力と成果が認められ、経済産業省から「がんばる中小企業・小規模事業者300社」の表彰を受けることになった同社。自社製品の開発で培った技術をもとに、新たなものづくりにも取り組み既存の受託事業の拡大も目指す。

またステップアップの度に地元商工会へ足を運び、「知恵の経営報告書」や「経営革新」等、様々な支援策を活用して成果に結び付けている。成功の第一歩は現場に足を運ぶことかもしれない。何かお困り事がある皆様も、是非、商工会という「現場」に足を運んで頂きたい。

 

人材育成について、マニュアルは一切なし。実戦を通して自分の「できる」やり方を自力で開拓させる。そんな厳しい原田流を貫く泰幸さんに、最初はハラハラしていたと原田社長。が「一年経てば顔つきはがらりと変わり、一山超えてイキイキとした。上手く育っていますよ。」と安堵の笑みをこぼす。

泰幸さん自身も、初めての経験に悩み苦しむ部下の姿を見たら心を痛めるそうだ。しかし辛いと思っても、余計な手助けは一切しないし口も出さない。ただ見守ることを基本に、必要な時にアドバイスをするだけだという。そのアドバイスも、具体的な方法ではなく「クライアントはこう思ってるんじゃないか?」ということを伝えるとのこと。

「自分は“こうした方がやりやすい”という自分なりの仕事のやり方と言うのはそれぞれに絶対ありますし、それを個人個人で見つけていく事が大切だと考えています。達成するまでのプロセスは、まっすぐ行く人もいれば、蛇行しながら進む人もいる。到着点が同じであれば回り道をしてもいい。その経験を積み重ねることが収穫になり、自分なりの流儀を見つけていくことに繋がる。自分はこう考える、という信念のようなものがないと相手を納得させることはできない。誰だって、お客様とは対等にお話をしたいじゃないですか。だから、一人前として見て頂けるように頑張るんです」。ただし、精神的な強さも人それぞれで中には思いつめてしまう従業員もいるので、そこだけは、病気にはならないように注意をされているそうだ。

また「仮に失敗をしても、それは後にノウハウとなって帰ってきますし、できた時の自信が積み重なってそのうち“やったるわい!”と言う気持ちになってくる。」と原田社長。そうなったら、仕事はどんどん楽しくなる__「だから、とにかくやる、やらせる。どんどん挑戦してもらうんですよ。」と話してくれた。

 

同社では、社内スタッフのステップアップを目指し勉強会を催しているという。実施は月二回、土曜日に二時間ほどで、各課持ち回りで主催をするそうだ。「例えば、溶接でしたら例え事務員さんでも、皆で溶接の体験をしてもらいます。設計でしたら図面の読み方を体験してもらうなど、その課ごとにやっている仕事の内容を発表してもらう。」という。発表しようと思えば、相手に分かってもらうためにどのように伝えるかを考え、また自分が取り組んでいる事業内容に関しても、分からなかった点を含め改めて勉強をする。また、同僚の仕事内容を知ることで、社外の人に自身の専門外のことを聞かれた時にも応対できることも増える。互いがフォローしあい、信頼を深めあうことで社内全体の結束が強まり、社員個々のモチベーションアップにも繋がっているようだ。

実際、同社を訪れると分かるが、オフィス・工場内と社全体の雰囲気が非常によく、顧客を迎える挨拶も明るく気持ちが良い。「ここにお願いしたらしっかりしたものを作ってくれるに違いない。」そんな信頼感を抱かせてくれるのである。

 

同社と商工会の関わりは、創業の頃に遡る。元々、原田社長は氏の父が経営する電気会社の後継者だったが、親族での経営方針の違いから独立することを決意した。「ただ、機械いじりが好きだった。」と言う思いは強かったが、全くの素人だったという原田さん。創業して間もない頃は経済的にもかなり苦労をされたそうだ。「最初はお金も電話もない状況で、事業の立ち上げ資金にも困りました。銀行にも実績がないから融資を断られていたのを、唯一助けてくれたのは商工会さんだけでした。」と当時を振り返る。

そこから「断らない、とにかく作る」という徹底したプラス思考でコツコツと実績を重ね、やがて孫請けから大手企業と直接取引をするまでに成長した。大手ポンプメーカーとの取引が始まったのは、バブル崩壊後の事。自社の製品を提案した所、他社の製品を凌駕する精度の高さを買われビジネスが始まった。信頼を深めるきっかけとなったのは、展示会商品の製作依頼であった。展示会用のポンプ製作が間に合わず、その企業の上層部の人から直接「どうにかしてほしい」と要請があったそうだ。その人は、この展示会での商品製作が失敗に終われば首が飛ぶところまで追いつめられていたといい、原田社長は厳しい納期ではあったが、徹夜を覚悟で引き受けた。しかし、メーカー側から、上がってくるはずの図面が一向に届かない。このままでは間に合わないと踏んだ原田社長は、自らメーカー側にアイデアを出し、急いで製品造りに着手。何とか期日に間に合わせた。出来あがった商品は逆に図面化されたといい、この機転と品質の良さを買われ、大きな信頼を勝ち取ったのである。

 

今後の進む道について訊ねてみると、「設計を厚くして、自社製品の開発に力を入れていきたいですね。」と泰幸さん。また「受託の方も、提案していくことでそれなりにイニシアチブが取れ、優位性が取れるようにシフトしていく。中国等の諸外国との価格競争だけになると、叩かれるばかりになってしまいますので。お金だけの問題であれば、すぐに海外にいけばいいですし、実際そんな道を考えたこともありました。でも、それよりもまずは日本でもっともっと認められて、その技術を日本に残したい。海外はそれからです。」とまずは揺るがない土台作りが大切との考えを話された。

さらに「日本のものづくりは、まだまだ可能性がある。」と原田社長。「安さだけで海外に進出しても、例えばその国の賃金が上がってくるなど、状況が変わるたびに世界中を一生転々としなくてはいけなくなります。日本は、やっぱりものづくりでできた国。技術も想像力も素晴らしいものを持っていますし、勝負をするならやはりそこだと思います。地に足を付けて、自分達はこれだという確たる技術やノウハウを身につける。この先の未来の為にも、日本の力をどんどん出していかないといけない。」と話す。

そんな想いを、未来を背負って立つ子供達に伝えようとミツワ製作所では地域の子供達の育成支援の一環として、工場見学やステンレスを使った工作教室などを実施している。近隣地域にある関係機関と連携し、ものづくりの魅力に触れるきっかけを提供し、楽しさを知ってもらおうというものだ。同社のプログラムは好評で、開催時は毎回定員オーバーになってしまうとのこと。

「子供達に、面白かったなあ、将来はあんな仕事をやりたいなあと思ってもらえたら、いつか、我々のような仕事につきたいなあと思ってもらえますしね。」と原田社長。泰幸さんも、子供の頃から遊びや日々の暮らしの中で、手を伸ばすとすぐそこにものづくりに触れる機会があった。高校生の頃は、アルバイトと称して父に現場に連れて行かれることが嫌だったそうだが、その頃、父を始め周りの大人たちに教えてもらったことが、今となっては優しさだったということが良く分かる__そう、話された。


様々な可能性を秘めたミツワ製作所。同社のこれからに、ますます目が離せない。

 

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