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サクセスリポート  

竹野酒造有限会社
〒627-0111 京都府京丹後市弥栄町溝谷3622-1
TEL:0772-65-2021    FAX:0772-65-2871
http://www.yasakaturu.co.jp/

縮小傾向にあるという日本酒業界の中、小規模ながらも個性的な酒造りで注目を集める企業がある。丹後半島の山間にある竹野酒造有限会社(弥栄町)もそんな酒蔵の一つだ。主に地域の契約農家で栽培してもらった米で造る純米酒「蔵舞」シリーズの誕生、そして海外展開等のお話を伺った。

 
 

「飲む器によって、お酒の味わいは変化します。香り、口あたりなど、日本酒の様々な魅力を発見してほしい」そう話すのは、京丹後市弥栄町にある竹野酒造の代表・行待佳平さん。昭和22年に、地元の酒蔵4社が集まり設立された蔵元の五代目だ。

日本酒の楽しみを広めるために同社が行っているのは、陶器のコップにワイングラスなど、様々な酒器を用いて少人数で“利き酒”を楽しむやり方。これは香港での商談会で目にしたマーケティング手法からヒントを得たもの。酒蔵見学と一緒に体験できるもので、定員10名以下で受け付けている。あえて“目の届く範囲”にこだわったのは、自社の酒を卸す取引先と同様、個人のお客様にも心を込めて作り手の思いや商品の魅力を伝えたいから。この春からは商工会からの助成金も活用し、専用の販売・ティスティングルームをオープンする予定という。

 

同社が、純米酒を中心にした個性ある酒造りを目指したのは、今から10年ほど前のことだ。元々、地域で消費される清酒(普通酒)を中心に造ってきたが、酒処であるここ丹後でも日本酒の需要は低下していた。地域の消費が縮小していくなら、販路を拡大させるしかない。が、それは各地の有力酒蔵やナショナルブランドと競り合うことを指す。「同じようなものを作っても勝てない」。先の方向性を模索していた時に、地元で古代米を研究する郷土史家、故・芦田行雄氏から、とある米の種籾が持ち込まれた。純米酒シリーズを生み出すきっかけとなる、幻の酒米「亀の尾」である。

酒造りは、亀の尾を栽培してもらえる農家を探すことから始まった。地元の信頼する契約農家に栽培を託し、やがて実りを迎えた幻の酒米は、様々な試行錯誤を経て極上の純米酒に生まれ変わった。商品化に当たり名付けを考えた行待さんは、日本酒の原点に回帰することを考える。昔から日本に伝わる酒は純米酒だ。「蔵」=蓄える、「舞」=無形のものを伝える。蓄えた知識と技、そして精神を受け継ぐ酒として商品を「亀の尾蔵舞(くらぶ)」と名付けた。蔵人として酒造りに携わっていた行待さんが、経営のバトンを継いだのは丁度その頃のことだ。

「その後、「蔵舞」は思わぬ進展をみせる。亀の尾蔵舞誕生の翌年、縁あって知り合った米の生産農家との協力の元、亀の尾と同じく一度は廃れた酒米「旭」で作った純米酒「旭蔵舞」をリリース。続いて、かつて弥栄町で産声を上げたものの、入手困難になっていた酒米「祝」も縁あって仕入れ先のめどがつき、そこから「祝蔵舞」が誕生する。このような繋がりから、純米酒「蔵舞」シリーズは現在全5種にまでなった。「真面目に農業に取り組む生産者たちとのご縁でできた酒。大事に育てたい」と代表。また、5年前からは息子の佳樹氏が杜氏に就任し、蔵舞シリーズは注目の若手杜氏が造る酒としても注目を集め、数多のコンクールで表彰を受けている。

 

「お客様から選んでもらえる商品を作るのは勿論ですが、逆に作り手もターゲットを意識することが大切」と行待さん。海外市場は20年程前から意識していたそうだが、今から考えると「海外戦略に使える商品」ではなかった。実際に、商談まで持っていく足掛かりになったのは、上質な苺を使った高級リキュール「きょうおとめ」の発表だ。同商品は純米酒100%ベースの苺リキュールで、発売は平成22年。新規市場の開拓を目的とした新たな酒類の開発で、流通業者から栃木のとある苺農家を紹介され商品化に取り組んだ。

県境を超えた逸品は農商工等連携事業(※認定されると新商品開発、販路開拓への取組みを支援する助成金・補助金等受けられる)に採択され、全国商工会連合会主導による上海開催の商談会に出品。そこで予想以上の反響を得たという。

 

上海での商談会を機に、中国への展開に本腰を入れようとしていた矢先、東日本大震災が起こった。直後、中国への輸出は全面ストップ。さらに、震災に影響する消費マインドの低迷は、日本酒の国内需要をさらに落ち込ませることになった。自身が目指すべき方向へ、進みはじめた矢先の困難である。しかし、それでも現状を超えてゆくために歩みは止められない。海外展開もその一つであるが、多くの諸外国では高い関税等の壁もあり、折り合いがつかず海外展開は頓挫という状況になった。話もことごとく決裂するなか、「こんなこと、してちゃあだめだな」と、方針を決める決断に迫られた行待さん。以降の海外展開の方向性を導く出会いをしたのは、そんな時だったという。

行き詰まりをみせた海外展開へのヒントとなったのは、震災後に知り合った香港のバイヤーとの出会いだった。様々な話をする中で、行待さんの意識を動かしたのは、「僕たちは、香港で商品そのものを販売したいとは思っていない」という一言だった。そして、お酒は好きだが、レストランなどの飲食店に卸すことを中心としてやっていきたい、そう話されたという。

「確かに海外では、家でお酒を飲むことを余りしない国が多いんですよ。飲むといえばほとんど外に行く。外食なんです」。それまで、酒販店や百貨店やなどの流通に卸すことを考えていた行待さんにとって、その言葉は盲点だった。確かに海外で商品を販売する場合だと、商標登録の問題や海外用のラベル貼り等、輸出に付随して様々な手間暇がかかってしまう。一方で、飲食店での提供であればそういった心配は少なく、また市場での売価も分からないため、店側としても商品を置きやすい。さらにお店が進めてくれるものなら、お客様は必ず口を付けてくれる。「つまり業務用商品として海外戦略に位置づけることに決めた」と行待さん。海外で自社の商品は売らないし、店頭にも並べさせない。一つの出会いが、新たな海外展開への方向性を導いてくれたのである。

 

安売りはせずに、よりブランド価値を高めながら商品を提供できる場を探す。素晴らしいアイデアだが的を絞った分、自社の要望とマッチした取引先に出会うこともまた一苦労だ。「でも、だからとりあえず行くのは行くことにしているんです、いろんな所に」と行待さん。気の長い話だが、それでもブレずに探していたら、出会うことはできるという。そうおっしゃる通り、つい先日も飲食店だけで勝負しようという相手がまた見つかった。6回目の交渉で初めて取引に繋がったそうで、きょうおとめを含む「蔵舞」の全シリーズを非常に気に入ってくれたそうだ。聞くと、現在商談が成立するまでのペースはかなりゆっくりだという。国内であれば新規の取引は、電話がかかってきてもいきなり取引は受けないことにしているという。まずは、お互い会って話をして、互いに理解して初めて取引を始める。「例えば人伝手で商品を知って、欲しいと電話かけてきて下さったとしても、そういうパターンは取引が一回こっきりですぐに終わってしまうことが多い。だったら、お互いしっかり話をして、分かり合えた上でお取引できた方が、お客様も扱おう!という気持ちになって頂けると思うんです。そうすると、商売は長く繋がる」。

この商品をしっかりと育てていこう__「蔵舞」ができた時、行待さんはそんな風に思った。なぜなら、酒の命となる米は、全て信頼する農家さんと契約を決めたうえで作ってもらっている。大量生産はできないが、米を作ってくれる農家さんも、少しずつ増えていっている。その信頼に応えるためにも、大切に守り、育んでいかなければならないのだ。

 

酒造りに携わってきた中で、行待さんは一年だけ杜氏(酒造りの現場における長)を務めた期間がある。それは、「蔵舞」誕生以前からこの蔵で陣頭指揮を執っていた故・日下部氏から、ご子息へ杜氏のバトンを引き継ぐためのツナギとしての一年だった。「本当は、私もずっと酒造りだけに集中していたいんですが」と行待さん。「経営に携わると、それにまつわる雑務もたくさん出てきますし、そういうことに追われてしまったら、絶対いいものを作ることはできない。本当にいい酒を作るためには、杜氏に雑音は入れてはいけないんです」__。ゆえに自身はあえて裏方に回り、蔵を支え守ってゆく道を選んだ。

行待さんが経営者になる以前、まだ只の蔵人の一人だった頃、日々変わらぬ作業のなか、常々思い続けていたことがあったという。それは、「これ、誰が飲むんやろう?」そんな漠然とした、だけど胸のうちにずっとくすぶり続けている疑問符だった。今現在、氏が「顔の見えるものづくり」にこだわるのは、当時のそんな思いがあるからかもしれない。

「本当に、欲しいと思ってもらえる人に、必要とされるものを作らないといけない」そう繰り返す行待さん。今年の仕上がる酒のラベルには、「2014」と醸造された年“ヴィンテージ”が記載されているはずだ。今年の酒は、一体どんな仕上がりになっているのだろう?この一年の成果を、心待ちにしている人たちがたくさんいる。国内のみならず、きっと海を越えた遠くの国にも。


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