ビジネストレンド京都
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サクセスリポート  
株式会社 ミツワ製作所 原田社長
  第8回
資金調達の多様化を目指して

京都府のほぼ中ほどに位置する園部町。 人口1万6千人の小さな町に園部初の深夜営業型ビアレストランをオープンさせた滝村社長。 数々のプレッシャーをはねのけ、成功させた その秘密を聞く!
素人同然から始まった金属との出会い  
「とにかく、園部にはこういう店が必要だと思ったんです。こんな店があるんだと誇りに思ってほしかったですしね。地域づくりにも役立つと考えたんです。」

大学を卒業後、大阪の飲食店でアルバイトをしながら調理の専門学校に通い、調理のノウハウを学んだ。

1年後園部に戻った滝村社長は、父親が経営する寿司屋を手伝っていたものの、当時の年収は100万程度。とても充分とはいえない金額だった。 店舗を持つことは常に頭にあったが、園部という町は、夜8時以降には誰も出歩かないというほど静かな町で、夜に飲みに行こうと思うと、亀岡の方面にまで足を延ばさなければならなかった。そんな環境に滝村社長は、 「園部には遅くなっても集まってもらえるお店がない。このままだと、若い人がどんどん外に出てしまう。自分が若い頃に感じた園部の町のイメージを今の若者にそのまま感じさせたくなかったんです。園部にもこういう場所があるんだということをわかってもらいたかった。」 と話す。
混乱の時代から始まった事業  
オープンさせた当初は、昔からの常連さんで毎夜賑わいをみせるものの、ビジネスとしての集客は難しかった。
滝村社長は、当時のことを振り返りこう言う、 「この時期が一番辛かった。飲み会の誘いにも応じられなかったり、園部初ということがプレッシャーでもありましたしね。」 しかしこの頃から商工会に青年部の部長として頻繁に顔を出すようになり、徐々に人脈も広がっていった。
「なにより、自身が人にものを伝えることがいかに重要かを知るいい勉強の場になりました。」 現在の従業員教育はここでの経験が生かされているといってよいだろう。
会社の方向を見極め転換  
滝村社長の店づくりは次のようなものである。 「まずは、カウンター重視の店づくりから、テーブル重視に切り換えました。全35席だった店内を階段下の余ったスペースをうまく利用し、全47席にしたんです。」 このたった12席増やしただけの空間改装が効果を発揮し、グループ客の予約が次々にうまっていった。
実家の影響もあり旬の食材には敏感に対応してメニューに使った。日替わりメニューには、少しでも経営者の顔が見えるようにとその日に感じたコラムを書き添えることで、メニューを通してお客さんとのコミュニケーションを図った。

また、滝村社長はビールにもこだわった。通常生ビールは品質が劣化しやすいため、2種類までしか置かない店が多いが、この店にはキリンのスタンダードをはじめ、園部で初の「1497」を置き、また女性には人気の季節ビールも揃えるという徹底ぶり。以来、このビールを目当てにくるお客さんで1.5倍は確実にアップした。
機転とアイデアで信頼を得る  
この頃には、せっかく来店していただいたお客さんも一日5、60人は入りきれなくなることも多かった。滝村社長は葱屋亀太郎をオープンさせた理由を次のように語ってくれた。
「2店舗目は、ビスクとは違う系統の店をつくろうと思いました。お客さんにその日の気分によって店を選んで欲しかったからです。また、和食の食材を重視し、季節感をもっと感じてもらえる店をつくりたいとも考えていました。」 葱屋亀太郎は、ビスクとは雰囲気ががらっとかわりおしゃれな和風に仕上げてある。
この雰囲気の異なる2店舗をわずか200mの距離に置くことで、この地域ゾーンでの集客を成功させたのである。
機転とアイデアで信頼を得る  
昨年6月から施行された道路交通法の改正により大きな打撃を受けた。売上も一時3割も落ち込んだ。しかし、この苦境の乗り越えるために滝村社長はこういう、 「結局、飲食業は『人間性』です。

お客さんにタクシーを使ってでもこの店に来たいと思ってもらう事ができたら、必ず足を運んでもらえるはずです。」 今後は店と滝村流の考え方をパッケージ化してビジネスにしていきたいと考えている滝村社長。 考えたことを常に実行してきた滝村社長なら、実現する日もそう遠くない話だろう。

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